名古屋城
清洲城は長らく尾張の中心であったが、関ヶ原の合戦以降の政治情勢や、水害に弱い清洲の地形の問題などから、徳川家康は1609年に、九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを決定。
1610年、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始した。
普請奉行は滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一ら9名が任ぜられた。
縄張は牧野助右衛門。
石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は加藤清正が築いた。
天守は作事奉行の小堀政一、大工頭には中井正清と伝えられ、1612年までに大天守が完成する。
清洲からの移住は、名古屋城下の地割・町割を実施した1612年頃から徳川義直が名古屋城に移った1616年の間に行われたと思われる。
この移住は清洲越しと称され、家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清洲城小天守も移るという徹底的なものであった。
1610年、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始した。
普請奉行は滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一ら9名が任ぜられた。
縄張は牧野助右衛門。
石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は加藤清正が築いた。
天守は作事奉行の小堀政一、大工頭には中井正清と伝えられ、1612年までに大天守が完成する。
清洲からの移住は、名古屋城下の地割・町割を実施した1612年頃から徳川義直が名古屋城に移った1616年の間に行われたと思われる。
この移住は清洲越しと称され、家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清洲城小天守も移るという徹底的なものであった。
update:2010年02月27日
